レイクの紹介サイト、 レイクの紹介サイトのお得な情報、 レイクの最新情報、 レイクのウラ情報など、 レイクに関することの総合情報サイト。
土曜  号線  赤目四十八滝  伝統  自慢  免責  打ち立て  MIKIKO  川越プリンスホテル  なんと  近辺  美味しい  自治  飾り  ページ  リンク  長い  舌鼓  グランド  車検 

南海本線とは?/ レイク

[ 1506] 南海本線 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E6%9C%AC%E7%B7%9A

南海本線(なんかいほんせん)は、大阪府大阪市中央区の難波駅から和歌山県和歌山市の和歌山市駅までを結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線。 「本線」という路線名ではなく、社名略称を冠した「南海本線」が正式な路線名である。南海本線自体を指して、または南海本線に接続する各路線(高野線と空港線を除く)を含めて通称南海線と呼称される。路線シンボルマークは、波しぶきをイメージしたもので、ラインカラーは青。
大阪〜和歌山間の都市間輸送と関西国際空港、四国・徳島へのアクセスを担っている路線。JR阪和線とほぼ平行して路線が延びているが、大阪府の南西部を迂回する形で和歌山市へ至る。 難波〜住ノ江間の高架複々線のうち難波〜岸里玉出間の東側2線は高野線の列車が使用している。今宮戎駅と萩ノ茶屋駅は西側2線にホームがなく、南海本線の列車は全てこの2駅を通過する。そのため、高野線の最下位種別の列車は「各駅停車」と呼ぶのに対し、南海本線の最下位種別の列車は「普通(車)」と呼んでいる(普通の解説も参照)。
羽衣以北の各駅と急行・空港急行停車駅などでは新式の案内板が整備されたが、それ以外の駅では設備の整備が立ち後れた駅が存在する。自動改札機は全駅に設置されており、2枚投入可能なものもある。また、2006年7月1日より、全線でPiTaPaとICOCAが使用できるようになった。ただし、乗車回数に応じて割引が適用されるサービスはPiTaPaのみが対象となる。
主な幹線道路との立体交差化については、難波〜石津川間、岸和田駅周辺、泉佐野駅周辺で既に高架化が完成しており、現在も、石津川〜北助松間や、北助松〜忠岡間などで高架化事業が進捗中であるなど、高野線や、併走するJR阪和線と比較しても相当進んでいるといえる。いわゆる「開かずの踏切」の問題や、それに起因する交通渋滞についても、先述の周辺路線と比べてかなり解消されてきている方であるといえよう。一方、普通や準急しか停車しない駅では、バリアフリー設備が不十分な(あるいは全くない)所も多い。また高石以南では普通停車駅を中心にまだ旧式の案内板が使われていて、やや近代化が遅れているところも垣間見える。
都市間および四国連絡特急として難波〜和歌山市・和歌山港間に特急「サザン」が運転されているほか、関西国際空港が開港した1994年からは空港線に直通する空港アクセス列車として難波〜関西空港間に特急「ラピート」、空港急行が運転されている。
このほか、自由席特急、急行、空港急行、区間急行、準急、普通(車)が運転されている。以下に「ラピート」「サザン」を除いた種別の運転概況を示す。前述の「ラピート」及び「サザン」については当該項目を参照のこと。
昼間時に難波〜和歌山市(一部和歌山港)間で運転。停車駅パターンは「サザン」と全く同じだが、全席座席指定料金不要で乗車券のみで乗ることができる自由席のため、「サザン」の愛称はなく、車両の種別表示幕では「特急」とのみ記載される。「サザン」と合わせて毎時2本の30分ヘッド。6両編成と8両編成の運用がある。通称「自由席特急」とも呼ばれている。
かつては堺、岸和田の2駅(1966年の新今宮駅開業後は同駅を含めた3駅)のみ停車の速達性を重視した列車でさらには四国徳島港接続や南紀(紀勢本線)直通の役割も担っていたが(詳細は下記歴史の項を参照)、度重なる停車駅の追加により、現在では泉佐野を境に、北部は特急、南部はかつての急行の役割を担う性格の列車となっており、難波〜和歌山市間で最も速い急行との所要時間差は3〜4分程度でしかなくなっている(一部自由席連結の「サザン」も同様である)。なお、2005年11月26日以前は朝のみ数本の運転であった。
平日の昼間時以外の時間帯と、土曜・休日の早朝(上りは深夜も運転)に、難波〜和歌山市・和歌山港間で運転。半数の列車が和歌山港線に直通する。6両編成と8両編成の運用がある。8両編成の場合、朝ラッシュ時には、上り列車に限り和歌山市〜天下茶屋間で、難波寄りから4両目に女性専用車両を設定する。現在、女性専用車両は1000系と2000系以外の車両に設置している。
2005年11月27日のダイヤ改正で昼間・土休日の列車が実質上特急に格上げされ、泉佐野以北の急行停車駅の乗客の輸送は区間急行が担うこととなった。また、平日夕方ラッシュ時以降は減便された。それまでは終日運転で、昼間時に1時間2本設定されていた。1994年6月改正(空港線暫定開業)以前は車両の種別方向幕には「 急 」と表示されていた。
終日、空港線に直通して難波〜関西空港間で運転。昼間時は毎時2本運転される。急行の停車駅(泉佐野駅以北)に春木駅が追加されている。空港線内は各駅に停車する。6両編成の運用と8両編成の運用がある。8両編成の場合、朝ラッシュ時には、上り列車に限り関西空港〜天下茶屋間で、難波寄りから4両目に女性専用車両を設定する。
なお、種別を表す色は急行は方向幕が全面朱色、行先案内表示機がオレンジ色であるのに対し、空港急行は黒地に朱色またはオレンジ色のアンダーラインが入り(日本語部分が黒地で朱色部分に「Airport Exp.」の英語表記種別が入る)、また日本語部分に少々小さい上付き文字で「空港」の文字が入った「空港急行」という表記となっているなどの違いがあり、急行とは区別された扱いとなっている。昼間や土休日ダイヤでは上り下り共に岸和田で特急「サザン」(時間帯によっては和歌山市発着の自由席特急)に追い抜かれる。2005年11月27日のダイヤ改正で夕方以降は減便されたが、和歌山市発着の区間急行が泉佐野駅で関西空港発着の普通車と接続を取る形でフォローしている。
1994年9月4日に開港した関西国際空港への空港連絡列車であるため、長期休暇期間・大型連休・盆・正月など、日本の海外・国内旅行シーズンの利用客が特に多い傾向である。空港に接続する特急「ラピート」の補助にもなっている。ただ泉佐野〜関西空港間に限れば朝の上り、夜間の下りはほぼ空気輸送状態になっている。
終日、難波〜羽倉崎・みさき公園・和歌山市間で運転。難波〜泉佐野間は空港急行と同等の停車駅で、泉佐野〜和歌山市間は各駅に停車する。昼間時は難波〜みさき公園間、ラッシュ時は難波〜羽倉崎・和歌山市間で運転され、空港急行とともに中距離における優等種別としての役割を担う。朝ラッシュ時や、深夜(深夜は下りのみ)には羽倉崎始終着のものもあり、羽倉崎車庫への引上も兼ねた存在の優等種別といえる。昼間は岸和田でラピートに追い抜かれる。夕方ラッシュ時には泉佐野、尾崎、みさき公園のいずれかで特急(ラピート・サザン)、急行に追い抜かれることが多く、和歌山市まで先着する列車は少ない。羽倉崎以南(特急・急行停車駅を除く)のホーム有効長から原則として6両編成で運転されるが、羽倉崎始終着の列車は8両編成で運転される列車もある。なお朝ラッシュ時と深夜の下りの和歌山市行きの区間急行は日によって激しく混雑することがある。なお、案内放送では「区間急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「区急」である(これは高野線も同様)。2005年11月26日までは朝と深夜のみの運転であった。
朝ラッシュのみ運転。上りのみ羽倉崎・春木発の難波行が数本設定されている。羽倉崎〜堺間は各駅に停車する。なお、構内アナウンスや車掌放送では「準急行」と案内される(これは高野線も同様)。南海線では最も本数の少ない種別である。6両編成で運転される。
終日、難波〜和歌山市間(区間運転あり)と空港線直通の難波〜関西空港間で運転。駅の放送では「普通車」と案内される。高野線の「各駅停車」と名称を区別しているのは、南海線用のホームのない今宮戎と萩ノ茶屋に停車しないためである。なお、かつては岸ノ里、玉出、粉浜の各駅も通過していた(難波〜住吉公園間には別に今宮戎・萩ノ茶屋停車の各駅停車が運転され、岸ノ里までは現在高野線専用の東線を走行していた)。昼間時は和歌山市発着系統が毎時2本、関西空港発着系統が毎時2本、合計4本運転される。ラッシュ時、夜間には羽倉崎・樽井・みさき公園で折り返す列車もある。また早朝には初発列車として泉佐野始発和歌山市行と高石発難波ゆきが、深夜には和歌山市始発羽倉崎行きの列車も存在する。特に深夜の上りの羽倉崎行きは上り列車では唯一の存在である。
なお、平日昼間時と土曜・休日の1時間毎の運転本数(岸里玉出以北の高野線列車は除外)をまとめると以下のようになる。
このことからなんば〜みさき公園・関西空港間の各駅では何らかの形で1時間あたり4本の本数が確保されている。特に粉浜〜住之江間の3駅は大阪市内の駅としては、この本数は最も少ない部類である。 また泉佐野駅では関西空港方面の列車と和歌山市方面の列車が相互接続を行っている。
泉佐野〜和歌山市間では本数がやや少なくなるものの、阪和線の日根野〜和歌山間ほど運転間隔がいびつなダイヤにはなっていない。また空港急行と普通車(みさき公園・和歌山市発着の列車)との緩急接続も多く、阪和線の日根野駅や熊取駅などの接続と比べると便利である。しかし朝夕ラッシュ時の区間急行や、全日を通して普通車が泉佐野か尾崎駅で列車の待避のために長時間(5〜10分程度)停車する列車も多く、所要時間の面でやや格差がついている。
正月三が日は原則として土休日ダイヤで運転されるが「ラピート」以外の全列車が昼間運転時間帯に住吉大社駅に停車するために2〜3分ほど運転時分がずれる。ちなみに2004年までは急行・空港急行のみの停車であった。また関西空港開港以前は昼間の急行(和歌山市または和歌山港行き・泉佐野または羽倉崎行き)・普通の本数が必ず6本となり、昼間のみ正月ダイヤを組んでいた経緯がある。また大晦日の深夜には住吉大社の参拝客のために住ノ江検車区への入庫回送列車を臨時の普通に仕立てて運転していた時期もあった。
1994年以前に運転されていた、通常の急行停車駅に加え春木に停車する急行。車両の種別表示幕に、朱地に白線を加えた白文字で「─急行─」(旧式の表示幕の場合は「─急─」)と記載されていたために、鉄道ファンなどの間では「白線急行」または「春木ライン」と形容されていた。定期列車としては空港急行(及び羽倉崎発着の区間急行)の事実上の前身で、難波〜泉佐野・羽倉崎間で運転されていた。また、難波〜多奈川間で運転された多奈川線直通の淡路航路連絡急行「淡路号」もこれに含まれていた。春秋の行楽シーズンや夏の海水浴シーズンには和歌山市まで延長運転され、盆や年末年始の帰省シーズンには特急運転時間帯以外に和歌山港まで延長運転された。なお、単なる「急行」として運転される春木通過の和歌山市発着急行は、岸和田競輪開催時には春木に臨時停車するが「─急行─」としては運転されず、あくまで「急行」春木臨時停車として運転された。
1993年に多奈川直通急行が廃止。1994年6月の空港線開通に伴う種別整理により「空港急行」に名称を変更して運転区間を現在の難波〜関西空港間に変更、その後9月の関西空港開港に伴うダイヤ改正で羽倉崎発着(車庫引き上げをかねて運転されるもの)は区間急行に統合され、定期列車としての運転は消滅。その後は岸和田競輪開催時の春木臨時停車の急行が「─急行─」表示を掲げ運転されていたが、それも2005年の昼間時の急行廃止により姿を消した。ただしその後、岸和田競輪開催による春木発の臨時急行が運転されたため復活している。
なお、車両に種別表示幕が装備される以前は、先頭車に掲出されていた種別表示の丸い標識板が赤で縁取りされたものであったため「赤丸急行」とも呼ばれていた。ちなみに空港急行がこの急行を継承した列車であるためか、方向幕故障時などに使われる「空港急 難波−関西空港」の標識板にも同様に赤い縁取りが施されている。
1994年以前は現行の停車駅の準急(当時は難波〜高石、岸和田間運転)に加え、朝ラッシュ時や深夜を中心に樽井、みさき公園、和歌山市発着の準急もあった。これは現在の区間急行の前身にあたり、停車駅も設定当初の区間急行と全く同じであった(天下茶屋駅は通過)。また、種別表示幕が赤で「準急」となっており、「赤準急」とも呼ばれた(ただし特急に使われている「赤色」よりはむしろ「朱色」に近い。停車駅案内表では急行と同じオレンジ)。なお、青で「準急」と表示されている現行の停車駅の準急は「青準急」と呼ばれた。
ほとんどの列車では、始発駅から終着駅まで乗り通しであるが、泉佐野駅や堺駅で乗務員交代が行われていることがしばしばある。
南海電鉄での運転士と車掌とのペアは「乗組制」を敷いており、一旦組むとどちらかが他の部署への異動や退職、どちらかが休暇をとらない限り、そのペアでずっと組む珍しいシステムを敷いている。
終着駅到着直前に運転士が車掌に対して電鈴で合図を送る。偶数番線入線時は運転士が電鈴を2打鳴らし、奇数番線入線時は電鈴を1打鳴らす。それに対する車掌の返事は同じく電鈴2打か1打である。また、優等列車が春木駅や天下茶屋駅に到着する数十秒前に、運転士が停車駅を失念して冒進することを防ぐ目的で、車掌が電鈴を1打鳴らすことがある(それに対する運転士の返事も同じく電鈴1打である)。これは、列車種別選別装置更新前からの伝統である(現在は上記の駅に接近すると装置から警報が鳴る)。
普通列車が優等列車の通過待ちの時、普通列車乗務員は必ずホームに立ち通過監視を行う。その時運転士はブレーキハンドルを常用ブレーキ最大位置にセットし、リバースハンドル(主幹制御器に取り付ける前進・後進の切り替えハンドル)を所持してホームに立つ。なお、固定式ツーハンドル列車の場合、リバースハンドルの代わりにマスコンキー(固定式ハンドルを動かすために使う鍵)を所持し、運転時計(懐中時計)も所持してホームに立つ。
阪堺鉄道は、1883年に廃止された工部省釜石鉱山鉄道の車両やレールの払い下げを受けて建設されたため、開業当初は838mmという日本では特異な軌間の鉄道であった。
競合路線であるJR阪和線との間においては、1994年に運転を開始した関空特急「ラピート」の話題性や、特急の座席指定料金の面で一時はJRよりも優位に立っていたが、大阪方面の直通運転など利便性の面で優位に立つJRに巻き返され、現在ではやや劣勢に立たされている。2005年11月のダイヤ改正以降の運転本数は日中・土日においては関西空港開業直後のダイヤと比べて約2割削減されている(基本・優等列車9本→8本、普通6本→4本)。
1967年(昭和42年)4月1日 樽井〜尾崎間の踏切で立ち往生していた大型トラックに和歌山市行き急行列車が衝突し、男里川橋梁から電車5両編成のうち2両が転落。5名死亡。直接の要因は、踏切で立ち往生したトラックに衝突したことであるが、事故編成の運転士が事故直前まで、自分の息子を運転室内に入れていたことが発覚し、大問題となった。男里川橋梁列車脱線転落事故参照。
1968年(昭和43年)1月18日 天下茶屋駅構内で春木発難波行き急行列車が信号を冒進し高野線堺東行き下り回送列車に正面衝突。296名負傷。天下茶屋駅列車衝突事故参照。相次ぐ事故で、猛烈な批判にさらされることになる。
1970年(昭和45年)11月23日 岸ノ里駅(当時)に高野線(難波駅直通列車用)ホームが設置されたことに伴い、高野線の運転系統を大幅に変更。南海本線は、難波〜住吉公園間の各駅停車(東線各駅停車)を廃止し、難波〜岸ノ里間では、全列車が西線を走る、現在のような形態となる。各駅に停車する列車は普通(今宮戎・萩之茶屋通過)に一本化。
※:路線自体は接続しなくなったものの、加太線の列車は紀ノ川駅から南海本線を経由して和歌山市駅に乗り入れるため、実質的には現在も接続しているといえる。

 

[ 1507] 南海高野線 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E9%AB%98%E9%87%8E%E7%B7%9A

高野線(こうやせん)は、大阪府大阪市浪速区の汐見橋駅から和歌山県伊都郡高野町の極楽橋駅までを結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線。一般的には、帝塚山駅以遠発着の列車が全て乗り入れる南海本線難波駅から極楽橋駅までの運行系統を指す(運行形態を参照)。
難波〜橋本間にはりんかんサンラインという愛称が(命名経緯は後述)、また汐見橋〜岸里玉出間には汐見橋線(しおみばしせん)という通称がある。路線シンボルマークは、高野杉の林をイメージしたもので、ラインカラーは緑。
真言宗の霊地高野山への足であり、終点の極楽橋駅からは鋼索線に連絡している。また大阪への通勤・通学路線でもある。かつては、南海本線に対して支線的な存在だったが、泉北ニュータウンをはじめとする沿線の宅地開発が進むにつれ、南海本線と並ぶ路線となる。
難波〜橋本間は沿線に住宅地が多く、20m級の大型車両を運行し通勤客を捌いている。橋本〜極楽橋間は山岳路線で高野下駅からは50‰の勾配や、制限時速33km/h、半径100m以下の急カーブが続くため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両が専用車両として使用されている。このような山間部の区間でも各駅に自動改札が完備されているのも特筆に価する。
駅における案内板やその他の設備に関しては南海本線よりも後れている面がある。主に橋本までの優等列車停車駅や、百舌鳥八幡、中百舌鳥などでバリアフリー工事が完成して、近代的な設備になってはいるが、設備が古いままの駅も僅かながら残っている。一方で、複数の駅でLED式の列車案内装置を導入しており、この点では南海本線より先行している。
大阪市内の住吉東駅〜沢ノ町駅を中心に大きな幹線道路と平面交差になるところもあり、『開かずの踏切』が点在する。沿線住民から高架化工事の要望もあるが、地形的な問題もあるため具体的な構想にまでは至っていない。またカーブが多いことも相まって、難波〜堺東駅間は南海線の難波〜堺間よりも所要時間が幾分長い。しかし、日中の優等列車の運行頻度は高野線の方が高い。
1995年から難波〜橋本間には「りんかんサンライン」の愛称が付けられている。1993年に、当時の社長が「高野線の愛称ではローカル線の感が否めない。難波〜橋本間の路線名を変更したい」と発言したのがきっかけで、社長案として南海山手線が候補に挙げられていたが、南海沿線の住民からは好意的な意見は少なかった。また高野山を総本山とする真言宗からの反発も激しく、結局難波〜橋本間を「りんかんサンライン」、橋本〜極楽橋間を「高野線」とイラストの路線図では区別しているが、沿線住民の間では未だに“高野線”と呼ばれており、“りんかんサンライン”と呼ぶ人は皆無に等しい。
なお山手線の名称は、阪和電気鉄道を南海電気鉄道の前身である南海鉄道が統合し、戦時買収によってそれが国有化され後にJR西日本阪和線となるまでの1940年〜1944年において、南海が同線の呼称として用いていたことがあった。
また、難波〜橋本間については真言宗への配慮から(当時の読売新聞の記事より)「高野線りんかんサンライン」両名併記とした案内も一部で見られる。
高野線の起点は汐見橋駅だが、現在は高野山方面へ行く全ての列車が難波駅から発着する。汐見橋〜岸里玉出間の通称汐見橋線は、この区間を折り返す各駅停車だけが運行されている。
難波〜極楽橋間に特急「こうや」、難波〜橋本間に特急「りんかん」が運転されている。特急のほか、快速急行、急行、区間急行、準急、各駅停車が運転されている。また、泉北ニュータウンの足として泉北高速鉄道と相互直通運転を行っており難波から直通列車がある。
難波から高野山方面へ直通する列車をかつては「大運転」と称したが、特急「こうや」や一部の列車を除き大運転自体が減少したこともあって、近年はあまり用いられていない。大運転の高野山方面列車の行先案内は、長らく高野線の実際の終着駅である極楽橋ではなく、鋼索線を経た「高野山」と表示されていたが、表示幕を黒地に白文字の現行デザインの物に交換してからは、「高野山極楽橋」と表示されるようになった。
難波から極楽橋駅まで昼間時間帯のみに運転されている。停車駅は千早口駅・天見駅・紀見峠駅を通過するほかは急行と同じである。2003年5月31日に登場した。
事故などでダイヤが乱れた時は通過駅である千早口駅・天見駅・紀見峠駅の3駅に臨時停車の処置を行うことがある。
難波から三日市町・林間田園都市・橋本・高野下・極楽橋駅まで運転されている。2005年10月16日の改正で極楽橋方面への列車は系統分割が行なわれ基本的に橋本折り返しとなった。難波〜林間田園都市・橋本間の列車が中心で高野下・極楽橋発着はごく一部のみ。橋本駅で橋本〜高野下または極楽橋間に運転されるワンマン運転の各駅停車に接続している。なお快速急行同様、高野下・極楽橋へ直通する列車は橋本で分割併合作業を行う。
2000年12月23日の改正以前の急行はズームカーで運転される難波〜極楽橋間直通の列車が中心だった。それゆえ特に深夜の下り急行に関しては激しい混雑が常態化していた。現行のダイヤでは大半が大型車に置き換えられたが、ズームカーの運用はまだ残っていて、早朝には難波〜橋本・極楽橋間の急行において4両編成で運転される列車が残っている。また昼間以降でも難波〜河内長野・橋本方面の系統の優等列車(急行・区間急行)を中心に6〜8両で運用されている。
朝ラッシュ時、8両編成運転(ズームカーを除く)の、橋本駅または林間田園都市駅を始発とする上り列車は、橋本〜天下茶屋間で、難波寄りから4両目に女性専用車両を設定する。
英語表記は“Express”である。なお、橋本で極楽橋行(高野下行)の列車と接続する場合は「高野山極楽橋接続(高野下接続)急行橋本行」となり、接続のない急行橋本行とは明確に区別されている。自動放送もこの表現で統一されているが、難波駅のみこの表現が用いられず、「橋本で高野山極楽橋行(高野下行)に接続いたします」と放送される。2007年8月25日のダイヤ変更からは、方向幕にも「高野山連絡(高野下連絡)」の表記が追記され、より区別が明確になっている。
加えて、平日ダイヤの上り極楽橋駅9:10発の難波行き急行の極楽橋〜橋本間はワンマン運転となるため、車両側の種別幕は「急行」と「ワンマン」の二段表記となる。
難波から河内長野・三日市町・林間田園都市駅まで運転されている。2000年12月23日の改正で朝・夜のみの運転となっていたが、2005年10月16日の改正で再び終日運転となった。昼間時間帯は難波〜河内長野・三日市町間の運転が中心であるが、夕方以降に林間田園都市行きの列車もある。夕方、夜間の下りにおいては一部の列車で河内長野駅で特急に追い抜かれることがある。朝ラッシュ時の上りの一部列車は金剛駅で急行に追い抜かれる列車もある。
このほか、平日朝に泉北高速鉄道和泉中央発難波行きが運転されている(2000年12月23日の改正までは平日夕方に難波発和泉中央行きも運転されていた。詳しくは泉北高速鉄道線も参照)。
難波から主に泉北高速鉄道直通列車として終日運転され、河内長野方面は平日朝に三日市町・河内長野・千代田駅から難波行きしか運転されていない。また毎年8月1日の「教祖祭PL花火芸術」開催時には、数本程度河内長野方面への臨時の準急が運転される。
かつては平日朝ラッシュ時に10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2005年10月16日改正時点では準急・区間急行合わせて4往復のみとなっている。
難波から堺東・北野田・金剛・千代田・河内長野・三日市町・林間田園都市・橋本駅まで運転されているが、大半が難波〜金剛・河内長野・三日市町間の運転で、堺東発着は始発難波行き・最終堺東行きのみ、北野田発着は平日朝のみ、他も一部のみとなっている。このほか河内長野〜橋本間、橋本〜高野下・極楽橋間にも運転されているほか、深夜に泉北高速鉄道和泉中央発難波行きが1本運転されている。6両編成での運転が基本だが、2005年10月16日の改正で十数年ぶりに昼間の大型車での4両編成運転が復活した。基本的には下り住吉東駅で泉北線直通の準急を待避し、堺東駅で急行(または区間急行)、北野田駅で急行とそれぞれ緩急接続を行う。上りは河内長野駅、北野田駅で急行(または区間急行)、堺東駅で準急、急行(または区間急行)とそれぞれ緩急接続を行う。
山岳路線である橋本〜高野下・極楽橋間の系統のうち、2両編成のものはワンマン運転(4両編成には車掌乗務)である。なお、ワンマン対応車両は現在のところ2300系電車のみとなっている。橋本駅で難波〜橋本間の急行と相互接続を行い、橋本駅では基本的に高野山寄りから発車する。
全日30分間隔(夜間は35〜40分間隔)で運転され、ワンマン運転を行っている。終電は22時台とかなり早い部類に当たる。1985年以前は、高野線岸ノ里以南と線路が繋がっており、出入庫のため住吉東駅や堺東駅発着の列車も存在したが、同年以後線路が分断され、汐見橋線から高野線帝塚山方面へ直通は不可能となったため、今では岸里玉出〜汐見橋間の運転のみとなり、完全に支線運用扱いとなった。
難波〜高野下間の急行や橋本〜高野下間の各駅停車が高野下〜極楽橋間を延長運転したり、急行や各駅停車に接続する形で高野下〜極楽橋間を往復する列車が運転されたりする。いずれの場合も高野下〜極楽橋間はノンストップであり、この区間は「臨時」の幕が表示される。 また、橋本〜極楽橋間の各駅停車が増発される場合もあり、このうち高野下〜極楽橋間をノンストップで走る列車は、全区間で「臨時」幕を出すこともある。
難波〜極楽橋間では、特急以外は橋本駅で乗務員交替が行われ、特急は始発駅から終着駅まで乗り通しである。
泉北高速鉄道線の直通列車は中百舌鳥駅で乗務員交替が行われる(平日朝の泉北線からの区間急行は中百舌鳥通過のため、例外として光明池駅で乗務員交替を行う)。
南海電鉄での運転士と車掌とのペアは「乗組制」を敷いており、一旦組むとどちらかが他の部署への異動や退職、どちらかが休暇をとらない限り、そのペアでずっと組む珍しいシステムを敷いている。
終着駅到着直前に運転士が車掌に対して電鈴で合図を送る。偶数番線入線時は運転士が電鈴を2打鳴らし、奇数番線入線時は電鈴を1打鳴らす。それに対する車掌の返事は電鈴1打か2打である。また、特に橋本駅入線時、なんば方面行き電車は通常4番線入線だが、ダイヤの都合上5番線入線時は電鈴1打の合図を車掌に対して行う。この合図に対する車掌の返事も電鈴1打か2打である。
夜間運転中、各駅停車電車が駅停車中に通過電車が接近した場合、各駅停車の運転士がヘッドライトを消す。すると通過電車の運転士が各駅停車の運転士に対して、警笛を鳴らして謝意を示す。
終着駅到着後、車掌が降車側の扉を開ける。その後運転士は車掌スイッチの切り換えを行い、切り換え完了後乗車側の扉を開扉し、車掌に対して電鈴2打で合図を送る。合図を受けた車掌は車掌スイッチが作動しないことを確認した後、電鈴2打で合図を送る。そして降車側扉は運転士によって閉扉される。
上り難波行き運転士は、橋本、御幸辻、林間田園都市、河内長野、萩原天神、新今宮などの各駅で停車中、乗降客確認のための後方監視を行う(ただし任意で他の駅でも後方監視を行う場合がある)。
堺から高野山を目指し、高野鉄道が1898年に大小路(現在の堺東)〜狭山間を開業。その後、長野(現在の河内長野)まで延びた。当初の計画では大小路から南海鉄道の堺駅に接続する予定だったが、住吉大社や我孫子観音への参詣客が見込めることから方針を転換。大小路から北上して道頓堀(現在の汐見橋)まで延伸し、自力で大阪市内へ乗り入れた。だが、当初の経営は思わしくなく、事業を継承した高野登山鉄道の手で路線延長が図られることになった(なお、高野登山鉄道の社長は根津嘉一郎 (初代)、現地支配人として乗り込んできたのは後に東京地下鉄道を起こす早川徳次である)。高野登山鉄道は、1915年に汐見橋〜橋本間を開通させ大阪高野鉄道と社名変更。その後、南海鉄道に合併し、1925年に高野山(現在の高野下)駅まで開通した。
高野下駅以南は別会社である高野山電気鉄道によって建設され、1928年高野下〜神谷(現在の紀伊神谷)間が開業、翌年極楽橋駅まで開業し全通した。南海鉄道は1944年に関西急行鉄道に合併し近畿日本鉄道となったが、この高野山電気鉄道は戦後、南海が分離独立する際の受け皿会社となった。
その反面、橋本〜極楽橋間の乗客数は減少の一途を辿り、2000年12月のダイヤ改正で高野下〜極楽橋間において日中の運転本数の削減が行われ(1時間に2本→1本)、さらに2005年10月のダイヤ改正では同区間を運転する列車が4両編成の直通急行から2両編成・ワンマン運転の各停が中心となるダイヤに変更された。
一方、事実上支線化された汐見橋線は乗客が減少し減便されながらも細々と生きながらえている状態である。将来建設が計画されているなにわ筋線との接続路線になるために複線のまま維持されている状態だが、現在なにわ筋線の建設計画は事業主体が決まらず、頓挫している状態であり、その動向によっては汐見橋線にも何らかの動きがあるものと見られている。
1944年(昭和19年)9月4日 萩原天神駅で100m以上オーバーランした長野発難波行き各駅停車がホームまで戻ったところへ定刻より約10分遅れで同駅通過の三日市町発難波行き急行が追突、通勤通学客で満員の両電車大破。5名死亡。
1995年(平成7年)9月1日 御幸辻〜橋本間が複線化。難波〜橋本間に「りんかんサンライン」の愛称使用開始。ズームカーによる急行の増解結の実施駅が一部を除いて三日市町から橋本に変更。平日朝ラッシュ時に難波〜河内長野間でズームカーの急行10両編成運転開始。このときの運賃改定で河内長野〜極楽橋間の営業キロを0.6km短縮。
2000年(平成12年)12月23日 狭山遊園前駅を大阪狭山市駅に改称。昼間の区間急行を急行に格上げ。天下茶屋駅が全列車停車駅に昇格。日中のダイヤが10分・15分ヘッドの混在型から一律12分ヘッドとなり、優等列車の増発と各停の運転本数削減。汐見橋線ワンマン運転開始。
2007年(平成19年)10月27日 浅香山駅北付近の線路上に小型ヘリコプターが墜落炎上し搭乗員2名が死亡。電車は通過していなかったが、一時上下線とも運転見合わせとなった。付近は住宅密集地であり、更なる惨事に繋がる可能性もあった。

 

戻る

レイクの紹介サイト、 レイクの紹介サイトのお得な情報、 レイクの最新情報、 レイクのウラ情報など、 レイクに関することの総合情報サイト。